御茶義理の人のにっき

御茶義理の人が1998年からつらつらと書き連ねているポルトガルなどの新着情報

雪山

世界の動画サイトからアニメやお笑いを一気に検索して全話見られる Ribbon Douga Network( rdn.jp )
2000/06/27
 さて、一つ断っておきますが、私は別に自己啓発セミナーや宗教に入る気は更々ございません。ついでに、病んでいるのもわかっていますが人様のお世話になるような事はせず、自分で昔から直すように努力しており、またそれ以上に落ち込んだ場合にも心を許せる友達が何人かはおりますので、それ関係のメールは一切必要ございません。
 最期の時、テレビドラマなどでは「〜さん」「〜ちゃん」などその人に呼びかけたり体を揺すったりします。また、ドラマでなくても実際にその場に立ち会ったことがある人はそう言う行動を取られる人を見る方が多いと思います。実際、医師や看護婦も意識はありますので出来るだけ呼びかけてあげてくださいって言われます。しかし、その人にとってはどうなのでしょうか?私は最期は何もせずに傍らで手を握って見守るとか、そっちの方が良いと自分では感じています。ひたすら呼びかける、最期を迎えさせたくないのはわかりますが、その人にとってはそれがうれしいのでしょうか?変なたとえになりますが、常人が夢うつつ(半覚醒)状態で呼びかけられても、のんびりと休ませてくれたらいいのになって感じを通常受けます。実際、その人は2,3日前に自分のピリオドがわかっていると言います。また、それは私も事実だと思います。そう言う人に対して、呼びかけるのは生きている者のタダのエゴで、最後の最後にその人を苦しませているだけにしか思えません。私も実際に昔はそうでした。ある人の時に、最後、無理矢理点滴を抜きませんでした。直るはずがないのですけど、そんなことをしても……。1分1秒早く逝く方が本人にとっては絶対に楽なはずなのです、それを周りが無理矢理その苦しむ数時間のために引き留める。そのとき、本人は悲しそうでした。私は多分一生トラウマになって生きていくと思います、考えるだけでも自分勝手な行動を今でも許せず自分を責め立てて殺してしまいそうになります。雪山などで、ピリオドを迎えるべく人ではない場合、確かに呼び止めるのは命を助ける行動としては当然正しいと思います。ただ、自然に最後を迎えるべく人に対しては一度呼びかけてお別れをするだけで良いのじゃないかなと思います。その人は、常人のおもちゃじゃないんですから、最後は逝く人の人権を見てあげたいですね

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