2000 年 06 月
「喪に服していない」
2000/06/28
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トップにあるように「喪に服していない」と、おしかりになる方がおられるかも知れませんが、私の気持ちを落ち着かせるために書いております。こう、なんか自分の気持ちを書き殴ることで落ち着かせる、結局強がっているように見えても、人様に読んで頂いて境遇を知っていただき自身が落ち着く、完全な依存症の状態です。ある意味、懺悔に使っている自慰的な日記です 予想通り後悔してしまいました。ある方と話していたときに「どんなに完璧に接していても後悔しないことは無いですよ」って言われましたが、ダメでした。ほぼ、今日とわかっていたのになぜ行けなかったんだろ?社会的な人になって人間的な人になれなかった。結局は自分のエゴに良く生きてしまった、「有給」ぐらい、1,2日無くなってもどうでもいいやん。意識はすでに4日以上前からありませんでした、しかし最期に家族誰もが看取らないで逝ってしまわれたと思うと、涙が止まりません。 今書いているのは、朝の4時です。実際のところ、2時30分には布団に入りました。家に帰ってきている間は、仏さんと一緒の部屋で寝る方がいいと言うことなので、一緒に寝ていましたが、今まで無かったはずの良い思い出が走馬燈のように次から次へと出てきて、涙が止まりません。いくら止めようと思っても無駄です、嗚咽は出ません(まだ、プライドが残っている証拠で、無理矢理止めているだけなのです)が目から涙が滝のように流れ落ちます。自分ではわかっているのですが、わかっていても絶対に取り外せない「嫌いに信じ込む」垣根が取り外され、今まで「無い」と自己暗示をかけて忘れていた思い出が全てその呪縛から解き放たれ、脳裏を駆けめぐります。、私はいてもたってもいられなくなり、気持ちを落ち着かせるために2Fの自室に戻りました。そして、今書いています。相手がいるときは、決して素直になれないのですが、いなくなると素直になれる。相手がいる場合は、今更好きになるのが恐いから、相手も同様に接しているから負けたくないから。今まで書いているように、変なプライドです。そのために誰でもそうだとは思いますが、常にこれが素直に生きれていればどれだけ共に楽かと思います。解き放たれた今は痛切に感じました。とはいえ、絶対にそうは出来ない……。悲しいです 本日は寝られるかどうかわかりません。寝たいとは思いますが、思い出につぶされるかも知れません。 そして、このことを知ってもらおうと必死に振る舞う自分がいる。何が、かっこいいの?わけわかんない 言葉に直接出していいなりにするより、直接出さず言葉・行動に秘められた内面的な意味・思想で相手を閉じこめてしまう。わかっていて何故するのだろう? やはり、寝られない。寝に行くのが恐い、もちろん幽霊とかそう言う意味ではない。自分の人生に懺悔して恐い。振り返るのが……。そして、振り返る。すごい、本当にすごい。ものすごい、大量の思い出が押し寄せてくる。常に好きだった人の場合は、常に思い出を思い出していたからそうでも無かったけど、無理矢理閉じこめていた人のはダムが決壊したような感じで、忘れていた物が忘れようと逃げようとしても押し寄せてくる。その、思い出を取りこぼさず、一つ一つかみしめようと試みています。今日は、徹夜になりそうです |
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