2003 年 07 月
ピザ
2003/07/27
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祭壇の前で目が覚めた。時間は 5 時を少し回ったところか。もうすぐ葉月が来るというのに、とてもすがすがしい朝だ。 と、小説っぽい出だしで書き出しましたが本日は葬儀日です。一端家に帰って朝食を食べた後、喪服を着て会場へ。着物作りたい。うちの紋は丸に三つ葉樫って至って普通の紋なのでどこでも作られるんだけどなあ。 葬儀は昼から。それでも親戚一同が集まっていますのでこっち側の人間はセコセコ働いて、お茶やお菓子の用意をしなければなりません。そんな仲居さん生活を 2 時間ほど行ったところで葬儀会場へ。今回は浄土真宗東本願寺派、そのため二回焼香です。住宅の集会場で行ったため昨日より多く集まった葬儀ではぎゅうぎゅう詰めでした。お金はちょっとかかるけど自治会館や福祉会館を借りる方が良かったですね。読経が進み、出棺になってやっぱりすごく悲しくなりました。でも大好物だったぶどうまんじゅうや福砂屋のカステラ、そして棺に入りきらない大量の生花に守られながら、二度と見ることが出来ないお顔とお別れしました。 葬儀は滞りなく終わり、マイクロバスに乗って人生三回目の大正区にある火葬場へ。ここってしめやかな場所って感じがすごいするのですけど、実際は大阪市環境事業局管轄。すなわち死体はゴミと同じ扱いです。台に乗せられてお経が終わったらスイッチを押して自動的に事はすすみ、またバスに乗って戻ってきます。 帰ったらみんなで仕出し料理を突っついてお骨が上がるまで待ちます。このときはさすがに生ビールではありません。そしてお茶を部屋まで取りに行くと、もうお返しギフトのパンフレットが届いておりました。非常識だと思いません?まだ葬儀が全部終わっていないんですから……。私ならこういうところは真っ先に排除ですわ。 食べ終わったらちょうど骨上げの時間。うまいこと成って居るもんです。火葬場に行くと 10 分ほど待たされて焼き上がり。しっかり癌の場所は緑色になっておりました。癌の場所は焼いても変色するようで、父親の時もそうでした。私が死んだらポルトガル葬というか、ポルトガルに散骨でお願い致しますわ。それがダメなら曽爾高原にでも散骨してくださいませ。おばあちゃんは普通にお墓に入るみたいですけど、入る場所がないのでどうするのかな。 そしてまた会場まで帰って、骨上げのお経と、初七日法要。全てが終わったのは 18 時ちょい。 親戚一同はそこで帰って、こっち側の人間は 22 時ぐらいまで飲んだり食ったりしていたようですが、私は疲れ果てて爆睡しておりました。 本日の気分:あと 20 年ぐらいはもう体験しなくて済むかな:0 時間( 計 0 時間 ),明日のラッキーアイテム:ピザ |
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