2001 年 03 月
<div align="center">2001/03/03(pt)
2001/03/03(pt)
FARO<->Tavira<->Vira Real de St.Antonio |
今日は FARO を見て回る予定…ですが、相変わらず雨です。もう、あきらめましたー。濡れても気になりません、いや気にしません、つらいよね…でもそれもまた面白いんだよ、普通の生活では絶対にこんな状況で傘無し観光なんてしようと思わないもんね とりあえず、目的の人骨堂を見にカルモ教会へ。Evora のそれとはちょっと違った感じですが、雨で空が暗く誰もいない状況であったために、こちらの方が不気味な感じが致しました。なんか、神妙な面もちに浸ってしまいました。この方達はどのような気持ちで殺されたのでしょうか?また、作る人々はどのような気持ちで作り上げたのでしょう…色々と思いが巡ります 昼からはタビィラに行きます。雨です、ローマの橋なんて見ている余裕はありません…止みません。一応みました、確かに足跡だけは残しました……ビーチにも一応まあ足跡は 予定より早く終わりましたのでビラ・レアル・デ・サンタ・アントニオに行きます。来ました、下りました。タビィラよりひどい感じがします、だれも駅舎から外に出ようとしません。書き飽きましたが嵐です(笑)でも、行きます。死ぬきで Let's Go!! 中心に出るまでにひどい状況ですよ……もう。写真を撮る余裕なんて全然ありません。一応アヤモンテも見ましたよ、ご存じかと思いますがここからスペインへ船で渡ることが出来ます。この川を越えるとスペインなんだよね〜感動。この廃れた CP の駅が素晴らしい。 またここも人々がいない……ペセタがこの町は通じます。マルクならありますけど 一時間繰り上げて駅で日本語が聞こえたのでお話ししてみると、コインブラ大学生だそうな。そこで情報収集を行うと、1 月末からポルトガルは大雨でドウロ川やその他の川が決壊しコインブラは洪水だったそうです。今はよくわからないけど、 2 月の中旬まではこの比では無かったそうです。折角北へ逃げようと思ったのに残念。北へ〜行こうらんららんとは内陸しかなさそうですね。 帰りの電車、黒人の人に話しかけられたので 30 分のほど話す。どちらも英語が不自由なのでポルトガル語を交えてバイリンガルで話す(笑)なんか、私のソックスに気を取られたらしい。体ではなくて良かったよ(w帰ったら送ってあげるよってことで話はついて、FARO でお別れしました。かなり警戒いたしましたけどね 久々に日を見た、やっと見れたよ。写真を撮ってまた「TASKA」今日は土曜日なのでメチャ込みです。馬刀貝のリゾットでした 「アギトホーダイカイシダナ」って tel しようと思ったら留守電でした。そこで、すごいことに気づいたよ。DoCoMo の留守電は国際電話でも「こちらは NTT DoCoMo です、…」って定型メッセージの間は課金されないんだね。これはある意味素晴らしい発見で、国際電話って着信に表示される場合無料で生きていることを伝えられるんだね ちなみにポルトガルから国際電話をかける場合、最低 3 度数 telecom card が残っていないとかけられません 本日の気分:雨雨降れふれもっとふれ:100%,*.**PTE/1JPY(none) |
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